道 白磁の人
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浅川巧は1891年に山梨県で生まれ、23歳の時に朝鮮半島に渡った。40歳で死を迎えるまで、林業技手として山林の緑化復元に貢献し、白磁に代表される朝鮮工芸の美しさを伝え守り、民芸運動の祖である柳宗悦に多大な影響を与えた。彼は植民地時代にあっても差別意識はなく、民族の壁を越えて朝鮮人と深い友情を育み、私財を与えて貧しい子供達を学校に行かせた。葬儀の際には追悼する朝鮮の人々が競って彼の棺を運んだ。彼の墓は今もソウルの共同墓地にあり、韓国の人々によって大切に守られ続けている。